横浜の外国人居留地から近代競馬の波は始まったが
ここ神戸にも外国人居留地があり
横浜から遅れること数年、三宮の外国人居留地内(現:神戸市役所の西側一帯)に仮設コースを作り
1868(明元)年:クリスマスに行ったのが神戸で最初の競馬とされている
1869(明2)年:H.R.C(ヒョウゴ・レース・クラブ)という団体により
神戸市中央区の生田神社の東側(現在は東門街のあたり)に常設の神戸競馬場(三宮競馬場とも呼ばれた)が作られる
ヒョウタン型で1周約1,100m、日本人専用の観覧席もあったようである
この頃の競馬は『ポニーレース』と呼ばれ
騎手は主に外国人、中国産ポニーや日本産ポニーを競わせていたそうである
また、外国人の間では馬券の発売がされていた
春秋に開催される競馬は2〜3日かけて開かれ、現在の競馬と同様にレースには賞金が賭けられ
多い日には、一日18レースをも行われていたそうである
競馬開催中は居留地内の外国人経営の商店や銀行は休業し競馬の観戦や運営にあたった
また、競馬開催前に港に入港した外国の船舶の乗組員が競馬を観戦する習慣もあったという
その高額賞金を目当てに日本ポニーより強いとされていた中国ポニーを争って輸入し始めたり
更に人々は賭けレースで儲けに走るようになり
居留地における本来の目的であった祭典、健全娯楽の社交場という機能から遠ざかっていった
1875(明8)年7月:競馬場の近隣に鉄道が開通し周辺地域の開発が進み
またポニーに代わる人力車の普及、神戸港開港後の人口増加と商工業地の集中による用地不足になどに伴い
競馬場も狭くなったことから衰退し始めた
また、政府は横浜のものとは異なり神戸の競馬にその政治性を認めて無く
横浜の様に条約に基づいて行われた競馬でなかった為
1874(明7)年:秋の開催を最後に神戸競馬場は約7年間の歴史に幕を閉じた
兵庫県神戸市中央区
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